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私が言葉遣いで悩む例を2つ紹介したい。
一つ目は、自分のことを嫌いな人と話す必要があるときだ。
私は高校生の頃、友人の陰口を叩いたとして、その友人から嫌われてしまったことがあった。しかし、同じ部活に所属していた彼女とは帰り道が一緒で、共に帰っていた。
その時の彼女は、ふとした一言に過剰に反応し、ますます私のことを嫌っていったのだった。私は彼女の言葉の裏に孕ませた毒に嫌気が差し、彼女が自分に都合のいいように周囲に私の悪口を吹聴されてしまわないかと思い悩んだ。
そして二つ目は、失恋した友達の愚痴を聞かされているときである。
片思いが実らなかったという話ならまだいい。しかし、恋人に突然別れを告げられた傷心の人物は、事あるごとにその相手の悪態をつきがちである。
聞き手の知らないところで始まっていた幸福が、知らないうちに終わりを迎えていても、できることといえばその相手の心情を推し量ることぐらいである。そしてもちろん、その推量が必ずしも正しいとは限らない。しかし、傷心の彼らはその事実をたびたび忘れがちである。
ゆえに、聞き手が良かれと思ってするアドバイスは、それがどんなに正しくとも、話し手の現状では実現が難しいとして否定されてしまうことがあるのだ。かといって適当な相槌をするだけでは、聞き手に誠意を示すことが難しい。
つまり、何を言っても、話し手を傷つけてしまう可能性があるのである。
これら二つの事例の解決策は、「発言に細心の注意を払う」以外に他ないのである。
これらの状況は非常にデリケートで面倒な事態であるが、逆に言えば、言葉をぞんざいに扱わないための訓練となるのかもしれない。他人と持ちつ持たれつの関係を築くには、様々な不満を乗り越える必要があると学べるからだ。
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